楽団=パイプ
曲=葉っぱ
なぜ似ているのかというと、
・指揮者がスヴェトラーノフなら、N響からでも音量をを引き出し、いつもより豪快な演奏を可能にする。
→指揮者がヘボなら、どんな楽団でも「良い」音楽を奏でることは出来ない。
→楽団がヘボならさっさと乗り換えろ(N響ボイコット事件は、ボイコットされた側にとってはある意味、好機。僥倖。
→曲?(モーツァルトはヴィオラを冷遇しすぎ。ベートーヴェン先生を見習いなさい
まず、N響の特徴をいくつか挙げてみる。
・アンコールやらない(サラリーマンですしwでも、アルコールはやりまぁす
・ダイナミクスが要求される曲で、ひたすら平坦に演奏する程度の能力(機械かな?
・楽譜通りに演奏するなら世界一(もう機械でよくねえか?
・楽しそうな曲をルーチンワーク化するプロ(お前ら演奏家に向いてねぇ、ライン工でもやってろ
・ 小澤征爾(客演指揮者)の演奏会をボイコット(和解は三十年後くらいだっけ?
この程度なら、まだマシだが、いつだったか年末の第九でやらかした。
これが第九かよと思うくらいの通夜と告別式と出棺と骨入れを同時にやっているかと思うほどの静かな演奏。
ついに難聴になったかと、家族に小声で聞いてみるも、訳が分からないよのポーズ。
こんな演奏でも、苦情すら言われない、「お察し」な演奏を繰り返してるのがN響
クラシックの名演は、いつだって名指揮者に名楽団というわけではない。
スヴェトラーノフという名指揮者が、
東洋の仏頂面で面白くもない演奏に定評のあるN響から、ダイナミクスとスケールを引き出した「N響伝説のライブ」事件とか。
「N響ボイコット事件」は、「N響は演奏家の集まりではない」ことを露呈した事件 。
こまけえこたあいいから、良いパイプ買えってことだよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿